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高輪皇族邸(高松宮邸)

高松宮邸があるので、私は会社事務所を高輪に置いたのですが、そのいきさつはのちほど。 

スキー小屋でおくつろぎになられる高松宮殿下

スキー小屋でおくつろぎになられる高松宮殿下

 

さて高松宮家は、大正天皇によって有栖川宮家(ありすがわのみやけ)の祭祀が継承された宮家です。大正天皇の三男として誕生され、高松宮宣仁親王(たかまつのみや のぶひと しんのう)を名乗られました。

高松宮という名称は、有栖川宮の旧称が「高松宮」だったことに由来します。 

高輪皇族邸@高輪1丁目

高輪皇族邸@高輪1丁目

 

有栖川宮家・高松宮家ともに今日では廃絶していますが、幕末から明治初期の歴史に興味がある方であれば、有栖川宮熾仁親王(たるひと親王)の名前を散見することになるでしょう。

高松宮殿下は『高松宮日記』を出版されていて、皇族として、そして激動の昭和史を知る上での一級史料とされています。この史料をアマゾンでアクセスしてみると、中古品市場で入手が可能なことがうかがわれます(2014年8月時点)。

 

高松宮邸は、江戸時代には熊本城主・細川氏の邸宅でした

高松宮邸は、江戸時代には熊本城主・細川氏の邸宅でした

 

高松宮宣仁親王と昭和天皇とはご兄弟であり、つながりが深かったことがうかがえます。

昭和天皇は、高松宮をおそばに置きたいという思いから、横須賀(海軍)に配属されました。高松宮宣仁親王は、海軍兵学校をへて海軍軍人のキャリアをつみ、終戦を迎えます。

皇族だから常に安全だったというわけではなく、終戦直後、徹底抗戦を訴える海軍の血気盛んな青年将校のパイロットたちに、命がけで説得をするために基地に入って行かれたと、同じ元海軍パイロットだった私の知人の方から聞いています。

写真は私の知人。軍事機密上、戦闘機全体は撮影できなかったそうです

写真は私の知人。軍事機密上、戦闘機全体は撮影できなかったそうです

 

 終戦後はスポーツ振興(特に競馬)や慈善事業(済世会)などに活動の軸足をうつされ、個人の活動としては「ゴルフ・スキー好きでも知られ、暖かい季節は夫妻で各地のゴルフ場を訪れてプレーを楽しみ、雪の季節になればよくスキーを楽しんでいた」と、”Wikipedia”「高松宮宣仁親王」と紹介されています。

全日本学生スキー連盟の大会で閲覧されている高松宮殿下

全日本学生スキー連盟の大会でご閲覧されている高松宮殿下

 

私が高輪に事務所をおいたのは、高松宮殿下と良くスキーをされていた知人(海軍のパイロット)の方が縁になっています。私とは49歳離れていましたが、一番親しかったスキー仲間であり師匠であり、所属するスキークラブの代表でした。大阪府スキー連盟や全日本学生スキー連盟の顧問をされていて、大学の後輩が長野オリンピック委員長だった八木さんでした。

話はそれましたが、高松宮殿下は体格も良く、非常に紳士な方だったそうです。下の写真の高松宮殿下の立ち姿からして、かなり滑り込まれていることがうかがえます。いい笑顔ですね~!

スキーをお履きになりゲレンデへ向かわれる高松宮殿下

スキーをお履きになりゲレンデへ向かわれる高松宮殿下

参考リンク

高松宮宣仁親王 – Wikipedia

高松宮日記(全8巻)

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