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清正公覚林寺

覚林寺(かくりんじ)は、目黒通りの起点にあり、東京都港区白金台一丁目にあり、加藤清正の位牌や像が祀られています。そのため、清正公覚林寺と呼ばれたりもします。

そしてその加藤清正。

戦国時代の猛将としての側面にスポットライトがあてられることが多いのですが、築城の名手として知られる藤堂高虎(とうどうたかとら)と並ぶ生涯の大作が、熊本城です。 

覚林寺@白金台1丁目

覚林寺@白金台1丁目

戦乱のない江戸時代を丸ごとはさんだことを割り引いても、加藤清正の生きた時代よりも300年後の西南戦争では、熊本城に籠城した明治政府が西郷の軍勢の侵攻をくいとめました。

西南戦争は明治新政府の不平士族たちをして「あの西郷を負かしたのか」と驚嘆と失望をもたらしたとされますが、そのかげに熊本城があったことはまぎれもないことでしょう。 

加藤清正の武勇伝の一つに、朝鮮半島で虎を退治したことがあります。虎の強さは死んだらおしまいですが、虎は死しても立派な皮を残します。加藤清正の武勇伝は「七本槍」などの武功ばかりではなく、熊本城という「皮」を残したともいえるでしょう。 

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幼少の頃から羽柴秀吉(豊臣秀吉)にかわいがられた加藤清正が大出世をとげるのは、肥後半国を与えられた時です。

もう半国を与えられた小西行長(こにしゆきなが)や、小西と親しかった石田三成と何かにつけて反目があったように描かれます。

関ヶ原の戦い直前の豊臣政権では「文治派と武断派の対立」と対立構造があったかのように描かれますが、加藤清正は「武断派」の武骨者としてしかみないのは、加藤清正という人物を過小評価することになるのではと思ってしまいます。

所在地

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